PCR 検査の Ct 値についての誤解と非特異的な増幅

先日、とある医学部の一室で、大学教員たちが数人で立ち話をしていました。

「この間、とある知事が、PCR 陽性者は感染者ではないから、Ct値を下げるべきといったらしいんですよ。あれ、どう思いますか。」

「ああ、あの。ネットで文句を言っている人を見ましたよ。確かに少し違和感はありましたね。」

「たぶん、研究者の常識からするとありえないことでも、現状からするとそれほど間違っていないのだと思うんですよ。たぶん、いま、精度管理のできていない怪しげな検査が大量に出回っていて、ロシアンルーレットみたいになっているんじゃないんですか。ただ、理屈のところは、ちょっと違う気がしますね。非特異的な増幅が見えるからですよね。」

「うわー、それ、このあいだ、無症状無接触で0.2%、発熱で26.1%陽性(https://wp.pcrnow.jp/press-release-long106/)、というデータを出して、特異度が最低でも99.8%あって自分のところの精度がしっかりしていると分かっているので笑えますが、それがなかったら本当に笑えませんね。いや、本当にそのとおりで、非特異的な増幅とかスメアとかいう単語が一切出回ってないんですよ。なんだけど、Ct値という言葉は歩き回っているという。」

「あれ、斜め読みしただけなのですが、感染研のプロトコルってネステッドじゃないんですか。ネステッドと書いてあった気がしますが。」

「いや、違いますよ。40まで回せと書いてます。その上で、Ct値が高い場合は再検査しろとあります。ネステッドはコントロールで使っているだけです。」

感染研プロトコル: https://www.niid.go.jp/niid/ja/lab-manual-m/9559-2020-04-14-10-09-54.html

「いま検査している人たちのバックグラウンドは、たぶん、分子生物学に詳しくないところがほとんどでしょう。そして、こんだけ大規模に PCR が行われたことはないですから。この PCR が難しくないのは確かですが、それでも、偽陽性を大量に出し続けている検査所がある可能性ありますよね。この間ニュースで見たんですが、陽性が数十人で全員が無症状って信じられますか。」

「うーん、精度を低くして大量にこなすほうが簡単で儲かりますからねえ。それをメディアに出て提言するのは、日本ではT大学医学部教授の仕事じゃありませんか。」

「いやあ、うーん、気が進まないですねえ。某名誉教授とかやらないかなあ。」

というわけで、仕方がないのでここに書くことにしました。

最近、いろいろなところで、Ct値という言葉が飛び交ってますが、どうも読んでいて違和感があります。そこで、どうして、Ct値を40にして実験しているのか、そして、感染研がなぜ、Ct値が高い場合は再実験するように言っているのか。最後に、現在、なんとなく精度の管理のなされていない検査がありそうだ、ということが分かるようにするために、基本的な知識を並べておきます。

誤解1

PCR 検査の特異度は低い。

答え

たとえば、中国では1000万人に検査して陽性者数が数百人で、陽性率は0.01%以下です。

つまり、正しくやれば、特異度は99.99%以上です。正しくやればです。正しくやれればですね。

感度については、何を真とするか次第です。ウイルスがヒトの細胞のどこかで増殖を始めた瞬間も見つけなくてはいけないといわれると無理ですが、一番知りたい、唾液などから大量にウイルスをばらまいている状態を見逃すことはまずないでしょう。普通は検出限界の100倍以上、場合によっては検出限界の1万倍を超えますので。

誤解2

国ごとによって PCR 検査の Ct 値が違うようだから、Ct 値のしきい値が低いところほど、ウイルスが検出されなくなる。

答え

Ct値は、どのようなプロトコルでやったかと合わせて初めてウイルスの濃度が計算できます。国によってプロトコルが違う以上、国をまたいで Ct 値を比較することは無意味です。

また、プロトコルをいじれば、Ct値は5くらい簡単に変わるでしょう。

誤解3

Ct 値のしきい値が高ければ高いほど、少量のウイルスが検出できる。

答え

いいえ。どうあがいても、Ct値40くらいまでです。

PCR の基本的な原理はご存知だと思います。「特定の配列に挟まれた領域」がサイクルごとに「倍々で増える」のを(リアルタイムPCRなら)「蛍光」するということです。(ついでにいうと、蛍光をずっと追っていると曲線の描き方で倍々で増えてきたかが分かります。)

そして、(リアルタイムPCRなら)蛍光がある強さを超えたところのサイクルの数を Ct値として検査の結果とします。

ところで、1コピーだけウイルスを入れたとして PCR をしてみましょう。DNAの分子量が600*塩基対(ひとまず増幅領域の塩基対を数百くらいにしましょうか)くらいで、それを40サイクルまで回すと2の40乗だから10**12(1兆)倍くらい増やしています。だから、理想的に増えると10**17(10京)分子量くらいです。実験は、マイクロリットルとかのオーダーでやるので10**-6(1微)で、アボガドロ定数オーダーが10**23(1000垓)、なので、このあたりで容器からあふれちゃいますね。実際は、先に DNA の材料が枯渇するはずで、酵素も熱で傷んできます。もちろん、完璧に倍々で増えるわけではないので、少々誤差はあるでしょうが、これくらいということです。

感染研の資料を見た限り、感染研のプロトコルだとこの値がだいたい38くらいになりそうです。そして、グラフの形を見るためには、少し多めに回したいです。感染研のプロトコルが40サイクルまで回して、Ct値が高い場合は再実験をしてください、といっているのはこういう理由です。

つまり、Ct値40以上で何かが検出されたとすると、それはウイルスの核酸ではないものです。

PCR では、DNA が「非常に増えやすい環境を作る」ので「倍々とまではいわないが増える」ものがあります。これを非特異的な増幅とか呼びます。これはプライマーの分解でより短いプライマーができるなどが原因なので避けられないのです。しかし、「倍々とまではいわないが増える」は、蛍光の上がり方を見ていれば、多くの場合「倍々では増えていない」ことが分かるし、増える速度が遅いので早くても30サイクル後半で立ち上がってきます。なので、分かっている人がやれば、ウイルスが検出されたのか、非特異的な増幅をなのかを区別することができます。

分かっている人がやれば、です。

誤解4

日本では、Ct値のしきい値として40が使われる。

答え

いいえ。日本の標準的なプロトコルである感染研プロトコルは、40サイクル回すことを推奨していますが、Ct値が高い場合は再検査を推奨しています。要するに分かっている人が考えて判断することが前提です。

PCR 検査で追加実験をする方法はさまざまです。プライマーとプローブを変えて、ウイルスの RNA の他の領域もあるかどうかを確認する方法が簡便です。高校の教科書にもある話としては、ゲルの上で電気泳動することによって、PCR で増えたものの重さが予想通りのものかを確認する方法もあります。冒頭の会話に出てきたネステッドというのもその一つで、PCR である領域を増やしたあとに、さらにその内側を二段階に PCR をすることで、目的の場所以外は増えないようにすることもできます。

Ct値が高いというのがどういうことかの判断力がある人がいれば、Ct値40で陽性になるわけではないはずです。

誤解5

一般に、Ct値35くらいで結果がでたとしても対処する必要はない。

答え

まあ、これはいろいろな答え方があると思いますが、そんなに単純ではないでしょう。

1. 手法や試薬を少し変えれば Ct 値は5くらいは変わります。プロトコルを固定しないと議論の意味がないです。国をまたいだ Ct 値の比較にはどういう意味があるんでしょうかね。

2. 感染初期は一日で Ct 値が7くらい減ります。

3. そもそも、とても薄い状態で検出されたとして、

3.1. まず、それが付着によるものだった場合、その人の体、汚れてますよね。感染者の唾液を体につけたんでしょうか。その環境、やばいですね。その人の周りを調べましょう。

3.2. 感染初期だったら、どんどん増えて、3日で100万倍の濃さになっていくかもしないので対処しましょう。え、見逃すんですか? 同居家族にも、陰性でしたよ、っていうんですね。

3.3. 治りかけの場合と発覚した場合。おそらく数日前にばらまいている可能性があります。周りの人に連絡しないといけません。

3.4. すでに感染が知られていて治りかけの場合。治ってよかったです。この場合は保健所も報告を求めずカウントしません。今まで通りです。

以上です。これをすべて機械的に陰性にしますか?

唾液中のウイルスの濃さというのは、1 ml あたり1億コピーあるいはそれ以上から100コピー前後まで、とてもばらつきがとても大きいものです。そしておそらく濃ければ濃いほど感染力は高いでしょう。ただ、この濃さは簡単に変わるものです。感染初期には1日に100倍くらいにはなりえそうです。

つまり、40サイクルまで回すことは、感染力の有無というよりは、PCR の理屈上のしきい値がそのあたりだから、40サイクルまで回しています。そのうえで、何を陽性とするかは、また別の話です。場合によっては、再検査などもします。このあたり、きちんと分かっている人、研究者としての訓練を積んできた人でないとかなり怪しいことになります。

ただ、現実がどうかは分かりません。はじめの会話で、ロシアンルーレットという言い方をしていた教授がいたのは、そういうことです。

最後に、実際のところ、Ct値、つまりウイルスの濃度によって、対処を変えることは意味があるかもしれません。たとえば、とても薄ければ自宅待機にして、3日-1週間毎に PCR をかけ続けるというのはありでしょう。治りかけの可能性が高いという判断です。

特に、医療資源の枯渇が叫ばれており、また感染の爆発とともに既感染の発見も増えると思われる今日ではそういうこともしたほうがいいかもしれません。

 

PCR 検査は、機械に検体をいれて、スイッチを押せばいいというものではありません。

もろもろの状況から判断するに、技術を理解せずに行われていると思われる民間検査が存在することは確かで、政府でも問題になっています。

技術的経済的な理由から検体の不活化(感染性をなくす処理)をしていないところも多いです。というのも不活化をすると核酸抽出過程が必要になりますが、技術的に難しい上にお金や手間もかかるからです。この結果、郵送で症状があったり接触があって陽性の可能性が高い検体を受け入れているのはどうやら我々だけのようです。

偽陽性を出さないようにするためには、お金と時間と優秀な人たちが必要です。不活化すらせず有症状を受け入れないような純粋なビジネス目的で行われている検査は傍から見ていて危ういものを感じます。

検体を安全のために不活化をし、しっかりプロトコル組み、研究者が結果をひとつひとつ解釈して、怪しかったら再検査、症状があったり接触があって陽性の可能性が高い検体を歓迎し、結果の意味を説明し、保健所とも連絡をとって協力する。それを標準的な PCR 検査にしていかなくてはいけないと考えております。そのため、現在、飛行場内にもラボを設置するなど、日本全国への技術提供を含めて準備しております。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です